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製品進化とマネジメント風景 第51話 リン資源における競争と共創のマネジメント

前回は窒素固定についての話をしました。今回も、食料生産性向上にとって重要である肥料資源の話から始めます。それは我々が食を通して摂取し、活動をするためのエネルギー源に直結している元素であるリンです。リンの需要量はこの60年に6倍となりました。年率成長率に換算すると毎年3%の成長です。3%という数字はやや地味ですが、それが60年間続いているということは注目に値します。

成長のドライバーは第1に世界の人口増であり、第2に半導体生産増です。今後、第3のドライバーとして脱炭素化対策が出てくると考えており、後述します。生産量の大半は肥料用なので、これまでは人口が重要なパラメータでした。長期予測は当たらないのが常ですが、人口の予測精度は例外的に高く信憑性があります。現在の人口は約75億人ですが、米ワシントン大学の予想では、今後も増え続けて2060年頃に約100億人に達し、その後2100年までに約90億人に減るという予想がされています。それを踏まえ、リンの需要は2050年頃までは今の年率3%が続くと予想されています。

現在のリンの世界需要は85%が農業用、残りの15%が工業用です。しかし、日本については少し様相が変わります。日本ではリン需要の25%が工業用、それも先端技術用資源であり、世界の平均から突出しています。これは技術立国としてみれば良い側面であるといえます。しかし、今後、リンの需要は世界的にも高まっていくことが予想され、サプライチェーンリスクが高まっていくことも意味しています。

人々がリン資源の重要性を再認識したのは2008年に発生したリンショックです。パターンは石油と似ています。1975年に一度目の価格高騰がありました。その後、価格は落ち着きましたが、2008年に再発しました。きっかけは中国四川省での大地震でした。四川省はリン鉱石の一大生産拠点であり、その供給がストップしたことが大きな影響を与えたのです。しかし、その4ヶ月後にリーマン・ショックが発生したため、世界の経済活動が停滞し、リン需要が減ったため価格高騰は収束しました。ただし、収束後の価格は以前の価格に対して2倍程度が当たり前となりました。

国の政府レベルでは、すでにリンは戦略物資に分類されていますが、まだ、レアメタル、レアアースまでの扱いにはなっていません。しかし、脱炭素の動きは、リンを多用する先端技術製品の大量生産を促進するため、同様の扱いを受けるのは時間の問題だろうと私は考えています。リン資源について懸念が生じるのは、そのサプライチェーンの偏りがあることに加え、産出国が自国への供給を優先し、輸出制限をかけているからです。

以下では、まず、リンの用途を概観します。大きくは農業用と工業用に分けられます。この2つは同じリンの製品ですが別物とも言えるほど異なっており、その製造法、サプライチェーンを確認した上で、農業面、工業面における日本の脆弱性を評価し、対策を考えていきます。

農業用途の大半は肥料です。人は昔から肥料の有効性に気付いていました。自然に得られるものとしては糞と骨が役に立つことも知っていました。飼料として骨粉を混ぜると家畜の育成が良いことにも気付いていました。ただし、後者については、比較的最近(1990年頃)、狂牛病という人にも害を及ぼす病気が発生し、その後の調査から羊や牛の特定箇所にプリオンが蓄積され、それが人にも悪さをすることが判明しました。その結果、今では骨粉を含む肥料や飼料の品質管理プロセスが大幅に厳重化されました。

化学肥料は明治時代になって欧州から日本にもたらされました。はじめはリン鉱石に硫酸をかけて製造する過リン酸石灰でした。この肥料は水溶性で作物の成長に速効性があり、需要は急速に広まりました。しかし、作物に吸収されるのは2割程度であり、残りの8割は、土壌の中の金属と安定な化合物になる、あるいは水に溶けて河川に流れ込む形で失われて行きました。

日本の土は火山灰中心の黒ぼく土であり、鉄やアルミニウムを含んでおり、それがリンと結合して作物の吸収を阻害します。そのため、日本の施肥量は世界平均の5倍を投入しています。しかし、それだけ肥料を投入しているにもかかわらず、日本のカロリーベース食料自給率は40%以下です。さらに、日本の土は酸性であるため、石灰などのアルカリの投入も必要です。

日本の黒ぼく土は腐植土を含んでおり、肥沃な土になる素質はあるのですが、雨が多いことに加え、微生物活動が活発であることが土を酸性化していると考えられています。ちなみに世界には同じ黒い土でも肥沃なチェルノーゼムという種類があります。ウクライナ、米国中部、中国北東部などがその土がある代表的な場所です。同じ黒土なのですが、ほぼ中性であるため穀物にとって良い条件が維持されています。それは日本と比べて雨が少なく寒いためと考えられています。日本は水が豊富なので水で苦労したことがありませんが、水で困っている国はたくさんあります。水の存在に比べれば、土が酸性であることくらいは我慢しなければならないことなのかもしれません。

以上、日本で農作物の生産量を高めるには肥料が必須であり、それが途絶えると影響が大きいことが分かりました。そこで、次に、肥料の元になるリン鉱石のサプライチェーンを見ていきましょう。USGS2018のデータによると、2017年時点における世界のリン鉱石生産高は中国が53%とダントツのトップであり、米国、モロッコ、ロシアと続きます。この4カ国だけで世界の80%を生産しています。輸出制限についてですが、米国はリン鉱石の戦略物資としての重要性を考慮して2000年の少し前に輸出を制限しました。今では中国も制限を始めました。日本はリン鉱石を中国、南ア、ヨルダン、モロッコの4カ国から全体の80%を輸入していますが、リン非生産国が輸入できる量は全生産量の5%程度であり、それを奪い合っている形です。

上記の4カ国の中で制限なしに輸出しているのはモロッコくらいです。なぜなら、世界のリン鉱石の埋蔵量の7割以上がモロッコにあるとされているからです。モロッコ産のリン鉱石には放射性物質が含まれているので扱いがやっかいですが、中国が人口増で輸出を減らした場合には、モロッコに頼るしか手が無いように思われます。日本は放射性物質の基準が厳しいので、モロッコのリンを輸入するには規制を見直す必要がありそうです。

ここから、工業用原料としてのリンの話に移ります。工業用のリンは通常、黄リンと呼ばれています。黄リンの工業生産は200年以上前に始まりました。当初は、リン酸カルシウムが主成分である動物の骨粉に硫酸をかけてリン酸にし、木炭で還元して黄リンを製造していました。初期の市場はマッチでしたが、その後、前述した過リン酸石灰肥料の用途が増えました。需要が増えると動物の骨だけで足りなくなり、戦場や地下の墓所から人骨を原料にしていたそうです。倫理的に許されない事ですが、資本主義が暴走するとこうなるのだということを教訓として記憶しておくべきでしょう。

その後、20世紀を前にして需要がさらに増し、技術はリン鉱石を原料として製造する方向に向かいました。リン鉱石にケイ石とコークスをいれ、1300-1500℃という高温で電気溶解して製造します。還元剤はやはりコークスです。このプロセスの問題はいくつかありますが、その第1は大量の電力投入が必要なことがあげられます。1トンの製造に14MWhが必要です。製造コストの半分は電気代であり、電気が安い所でないと利益が出ない事業と考えられています。そのため、日本では生産が諦められ、欧州にはオランダで1社が生産していましたが、カザフスタンとの競争に敗れて撤退しました。現在、世界の黄リンの生産高はたったの3カ国で80%を超えています。その国はベトナム、カザフスタンと米国です。日本では、輸入の90%をベトナムに依存しています。サプライチェーン的に脆弱な状況にあることがよく分かります。

黄リンの工業用としては色々あります。半導体ドーピング用ガス、半導体エッチング用ガス、表面処理用原料として使われています。また、リン酸鉄リチウムがEV用リチウムイオン電池の正極材として使われています。リチウムイオン電池の主流と考えられているニッケル・マンガン・コバルト三元系に対して、コストは半分から三分の一と評価されています。もちろん、エネルギー密度の面では劣りますが、難燃性で安全という特徴もあり、都市内を走るクルマには向いていると考えられます。EVの低コスト化が凄い勢いで進みつつありますが、環境性と安さの両立は消費者の支持を得る可能性があります。

リチウム系電池のエネルギー密度を高めたいという要求への対応として全固体電池の開発が盛んに進められていますが、この電解質の有力候補としてリンと硫黄の化合物があげられています。全固体電池は長距離が必要なトラックや高エネルギー密度の空飛ぶクルマなどに向いています。どこかでブレークする可能性は十分にあります。さらに、コロナワクチン等の医薬品にとっても不可欠な原料です。よって、その供給が止まると大変なことになるでしょう。サプライチェーンが非常に脆弱であることを認識し、早期に頑強性を高める対策を打つ必要があります。

最も良い対策は代替材を見つけることですが、簡単には出てこないでしょうから、まずはリサイクルを考えるのが現実的です。その際に考慮すべきこととして、同じリン資源でも、肥料用と工業用では別物といえる程、違います。前者は害を及ぼす重金属や細菌が含まれていないことが重要であり、純度に対する要求はあまり厳しくありません。これに対して後者はとにかく純度が重要です。よって、リサイクルの当面の目標は肥料用としての回収ということになります。

最初は人の生活排水中に多く含まれるリンのリサイクルから入ります。リンはそのまま河川に流すと富栄養化問題を起こすため、先進国では下水の浄化システムが整備されています。その浄化システムの機能はリンの除去でしたので、この方針をリンの回収に変更すれば良いわけです。下水処理では生物学的処理が行われています。その産物である余剰活性汚泥にはたくさんのリンが含まれています。その含有率は22-24%とも言われており、リン鉱石の27-37%に匹敵するレベルにあります。ただし、様々な細菌や重金属なども含まれている場合があり、それらの除去が必要です。細菌には焼却が有効であり、同じ話は家畜の糞尿にも当てはまります。焼却灰から重金属を分離してリンを抽出するためにはアルカリや酸を用いた抽出工程が必要となるためコストが高くつきます。よって、大規模に普及するにはコスト低減の技術開発が求められています。

2番目は食肉加工の副産物である動物の骨の利用です。骨の7割はリン酸カルシウムであり、リン資源になることは既に述べました。食肉も年率3%程度で成長しています。牛肉量の増加は僅かですが、豚肉と鶏肉の成長は目を見張るものがあります。これらの肉骨は処理に困るので、何かの資源として活用したい所です。処理の1つとして肉骨粉をセメント材料の一部として混ぜるという話がありますが、リンの量が多すぎると強度に影響するため限度があります。昔から有効性が認識されていた肥料や飼料のためのリン資源として活用を進めるべきです。ただし、既に述べたように狂牛病の発生源となるプリオンの除去は不可欠であり、厳重に管理する必要があります。

なお、リサイクルとは無関係ですが、現在、食料の約3割が廃棄されており、その中の再資源化できる部分を除いても2割は食品ロスとなっています。これを減らすだけでも一定の効果があります。日本の「もったいない」精神の出番かもしれません。

3番目は製鋼スラグからの回収です。人が最も大量に使っている材料はセラミックスですが、金属材料の中では鉄が一番です。そして鉄鋼席に中には約0.2%のリンが含まれています。これが銑鉄の段階になると2%程度まで濃度が上がってきます。鉄は大量に造られるので含まれるリンの量も多いですが、濃度が2%と低いので回収にコストがかかります。よって、低コストのリサイクル技術開発が待望されています。

上記の3つ以外にも、リン酸を使う食品加工工場や半導体工場の廃液からの回収も考えられています。今後、EV用の電池が大量に生産、供給されるようになれば、リン資源リサイクルの対象になっていくでしょう。

脱炭素の流れを創り出したのは欧州であり、今も世界の先頭を走っています。我々はその後を追いかけている状況にあります。通常、脱炭素は企業の収益を圧迫するので面従腹背の動きが出てもおかしくありませんが、今回の欧州の動きは強い確信に裏付けられている印象を持ちます。その理由を調べた結果、欧州は長い時間を掛けて民主的な議論を重ね、その結果として、直線的経済はいずれ破綻するから循環型経済にしなければならないという結論を出していました。それがポリシーとなり、本格的な活動に移行したと捉えることが出来ます。朝令暮改的な話ではありません。

同じ文脈で考えると、食料や先端技術に直結するリン資源についても議論されていないはずがありません。実際、この分野でも欧州はリードしており、代替材料の探索とリサイクル技術開発と事業化を真剣に実施しています。日本が半導体やEVの分野で生き続けていくためには、リン資源に関する循環型経済をどう形成するかについての議論を進めていく必要があるでしょう。このためには、農業から工業までを俯瞰した対策を考えていく必要があります。そのためには異分野の専門人材の知恵を上手に統合する仕掛けが最も重要だと考えます。リン資源を扱う貴社は、今後、どのように対応していきますか?