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製品進化とマネジメント風景 第9話 シミュレーションの進化とAIマネジメント

最近、色々な人達とお会いしていますが、しばしば話題にのぼるのがAI(人工知能)です。AI学会の会長を務めた人の本を読みましたが、AIの定義というものは意外に曖昧で、何が出来たらAIかという定義は100人いると100通りの定義があるそうです。ただ、AIカテゴリー分けの1つである、機械学習(マシンラーニング)と深層機械学習(ディープラーニング)の差はかなり明瞭です。

先日、大学時代の先輩にお会いした時にもやはり話題となりました。「AIを応用しようという動きが自分の研究領域でも議論され始めている。データから推論するのは良いのだけれど、結果を鵜呑みにしたがる人が増えていて危惧している。試験データを使ってAIで推論しようというのは一つの手段として理解できる。もちろん、なぜかを説明できないとダメだけと。危惧しているのは、大量の数値シミュレーション結果のデータから推論しようという動きがあることだ。現在の数値シミュレーションの殆どは、一定の物理・化学現象を説明できるが、肝心の事象を説明できない場合が多い。そのようなデータから推論することは誤った結果を導きかねない。説明責任を伴った上で行うならば問題ないが、説明責任なしに推論を信じるようになると危険だ」。

この話を聞いて「確かにそうですよね」と返答しながら、ふと、「これと類似の話を別の場面で聞いたことがあるな」と思いました。必死に想い出していると、それは30年も前のことでした。

そう、それは、私が会社に入社した頃の話でした。数値シミュレーションは1970年代頃から盛んになり始めましたが、コンピュータの計算能力とコストの問題によって、使える仕事は限定的でした。1980年代には、シミュレーション技術の解法面と実際の工業製品への適用研究が急速に進みました。それでも、計算コストが非常に高かったので、たくさんの繰り返しが必要な設計への適用は限定的であり、シミュレーションを使って設計しましたと胸を張って言えるようものが出てきたのは1990年代になってからだと思います。

数値シミュレーションの草分けは米国NASAが開発した構造シミュレーションNASTRANだと認識しています。1968年に開発され、1971年から市販されました。その有用性が世界に認識され、数値シミュレーションは構造分野だけでなく、他の分野に急速に広がっていきました。

数値シミュレーションの適用は、まず、物理事象を扱う所からスタートしました。対象としては、構造強度、流体、伝熱、電磁波が主なものでした。産業用製品は、機能・性能が優れていることと、すぐには壊れないことが重要ですから、シミュレーションは設計の妥当性を確認するために非常に有効なツールでした。始めは固体だけ、流体だけなど、限定されていました。しかし、次第に固体と液体と気体の混合したものを扱ったり、固体については材料の結晶の方向を調べたりすることも、今では扱うことができるようになりました。研究レベルでは、分子とか原子レベルなどを直接扱う第一原理計算の方向に進んでおり、物理と化学の境目がだんだん曖昧になりつつある印象を持っています。

物理事象のシミュレーションが進歩すると、その動きは化学の範囲にも広がっていきました。化学の分野で私に馴染みが深いのは、燃焼、合金・化合物材料の製造、および製品運用時における材料の酸化・腐食です。これらの現象はすごく複雑ですが、多くの研究者の方々が観察し、本質を抽出してモデル化を行って数式に落とし込み、試験による検証を通して、多くのことが分かってきました。そして、現象を表現する数式があるおかげで、それを離散化して数値シミュレーションが出来るようになったのです。

今日では、産業用製品の運用初期段階で起こる問題は、数値シミュレーションの活用を含めて技術的に適切なプロセスをとって開発すれば、問題の発生をほぼ抑制できます。ただ、耐久性とか経年劣化の問題は、物理現象と化学現象の両方が入り込んだ複雑な問題であり、未だにあまり良い精度で予測できないと言ってよいでしょう。

物理と化学の両方の現象が入ってくる複雑な問題の一つとして、材料や製造プロセスがあります。例えば鋳造をみてみましょう。鋳造は溶融した金属を砂型などの型に入れて複雑形状を造る技術ですが、数千年の歴史を持っています。つまり、理論もシミュレーションも無い時代に発明され改良されて人間の役に立ってきたわけです。逆に言うと、人間が賢くなって科学技術が進歩しても、しぶとく生き残る有用性を保ってきたということです。

鋳造シミュレーションでは、まず、溶融した金属が鋳型の中を流れる湯流れを扱い、次にその凝固を扱います。中子が入っている場合には、中子ずれも考慮しなければなりません。凝固時には引け巣の発生が避けられないので、製品以外の押し湯部で意図的に引け巣を集めるような制御も必要です。この辺は、流体力学や材料力学の知見が必要な領域です。一方、凝固においては、デンドライトの成長を考慮した結晶粒生成を考慮する必要もあり、この辺は冶金の世界になってきます。高温の湯が鋳型に触れた際に型からガスが発生しますが、これは化学反応が関係します。成長していく結晶粒と結晶粒の間に前述のガスが入り込んで欠陥を形成することも考慮しなければなりません。型の表面が高温の溶融金属によって酸化反応を起こして別の物質になり、それが異物として湯に入り込むこともあります。なんと複雑なことか!

このような複雑な鋳造シミュレーションに対して、大きく2つの意見があります。1つは、正確に予測できないから役に立たない、人間の経験の方が優れているという意見。もう1つは、検証を通して予測精度が良い範囲を把握した上で使えば、人間の脳内で実施しているアナログシミュレーションよりも細部をより正しく扱えるので有用であるという意見。

シミュレーションを製品設計に活用して成果をあげる人は後者の考え方をしています。人間の脳は、現象の7割、8割についてはシミュレーションと同等の結果を出せるが、残りの2割、3割の細部はシミュレーションの方が優れている。類似の問題において、事前に実験とシミュレーションの間で相関関係を把握しておけば、シミュレーションは人間の想像力が及ばない細部の複雑事象も定性的に正しい予測をできる。だからとても有用であり、これを使うことで生産性を大きく向上できるという考え方です。

シミュレーションの精度を上げようとすると、まず、計算格子を細かくする必要がありますが、そうすると計算時間は雪だるま的に増えます。製品運用中に事故が発生し、その原因を正確に特定しなければならない場合などは、精密な計算が不可欠です。しかし、製品の最適な形状を多面的に検討する設計段階においては、計算精度そのものよりも、物理・化学的性質を正しく捉えることが出来、製品形状の差について相対的な優劣を評価できるレベルで十分な場合も多くあります。

大事なことは、起こっている現象を人間が理解できていて、シミュレーションの限界も知った上で活用すれば、とても役に立つ道具になるということです。一方で結果を鵜呑みにして使いはじめると、第三者はその言い分を信じられなくなります。つまり、シミュレーションを道具として使いこなすには、人間が十分に説明責任を果たせる範囲で活用せよということであり、これが30年前に私が聞いた話です。

今日、AIという名で用いられているものには、機械学習と深層機械学習に分類されます。機械学習は、取得されたデータの山の中から、目的とする価値と相関の強い制御パラメータを見つけ出して未来を予測するわけですが、制御パラメータの候補を設定するのは人間です。人間が脳内アナログシミュレーションを行ってパラメータを設定しているので、出てきた結果を自身の言葉で説明することができます。つまり、この範囲ならば、人間がその気になれば、シミュレーションと同様、AIを道具として使えるはずです。

一方、深層機械学習の場合、相関関係が複雑になってくるので、出てきた結果を人間が説明できない場合が多くなってくると思います。学習不足のAIは間違いも起こすでしょうから、AIの出した答えを自身の頭で評価せずに何でも信じるようになることは、人間が道具に使われていることになり、好ましくないと思います。

今後、生産性向上のために機械学習を活用する場面がどんどん増えていくことでしょう。これは世の中の流れであり、止めることは誰にもできないと思います。なぜなら、現在、蓄積されつつあるデータは膨大な量に膨れ上がってきており、とても人間個人が扱える量を超えているからです。これらのデータから何かを見つけようとしたらAIの力を活用せざるを得ないからです。膨大なデータは、何も見つけられなければゴミですが、何かを見つければ資産に変わります。

グーグルは世の中を便利にしたいと思って、世界中の電車や道路のデータをモデル化してルート検索ソフトを作りました。私も海外出張に行って路頭に迷いそうになった時に何回も助けられました。ただ、おそらく、あの活動は、純粋に世界を便利にしようとして始めたのであって、道路データが将来大きな資産になると思ってやっていたわけではないように思います。しかし、自動車の無人運転をやろうと決めた瞬間、世界中の道路データは価値ある資産に変化しました。同様な事は他にもあるように思います。つまり、データをゴミにするのも、資産にするのも我々次第ということです。

機械学習を使いこなすには、目的とする価値と相関性の強いパラメータを洗い出すことが最初に仕事となります。複雑なシステムになればなるほど、たくさんのパラメータが絡み合うことになります。よって、多数の専門人材の知恵を上手に活用することが、AIを活用する上でも必須です。さもないと、目的を達成するパラメータのセット(纏まり)を、いつまでたっても見つけることが出来ません。

増えつつあるデータを資産に変えようとしている貴社は、機械学習を使いこなそうと考えていると思います。使いこなすためには、適切なパラメータセットを見つける必要がありますが、そのためには多数の分野の専門人材の知恵の統合が必要です。貴社はどのような仕掛けを通して専門人材の知恵を統合していきますか?

参考文献

  1. 稼ぐAI、中西崇文、2019