製品進化とマネジメント風景 第42話 センサ技術の進化と人・AI学習マネジメント
前回、五感センサについて議論しました。五感とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚および触覚ですが、これら以外にも運動覚、平衡覚および内臓覚の3つがあり、これらを合わせた八感がビジネス対象になると考えています。これらの全ての感覚は、突き詰めれば、人間が生きていくために必要となる何らかの行動に役立つようになっています。人は技術によってこれらの感覚を高めることに熱心であり、それゆえ、その能力向上はビジネスになります。
前述の八感のうち、その人工的な能力向上が最も進んだのは視覚と聴覚の分野ではないでしょうか。これらの能力が発達した理由には全く異なる2つの理由があったのだろうと推測しています。1つは、遠く離れた安全な所から状況を確認したいという、極めて本能的なニーズだからです。もう1つ、視覚と聴覚の分野の技術が急速に発展することができたのは、この二つの感覚は技術的に標準化しやすい「ものさし」があったことが強く関係していると考えます。なぜなら、この2つの感覚以外の進化スピードは非常にゆっくりだからです。
人が生きていくためには、必ず、他の人、他の動植物、土やモノに接触しなければなりません。視覚や聴覚や嗅覚によって安全を確かめたとしても、接触した瞬間、危険に曝される場面は多々あります。接触することは、最も安全を脅かす瞬間であるため、その感覚は特別に研ぎ澄まされており、人間以外の動物を見ても非常に慎重です。触れた瞬間に危険が訪れて死んでしまったら元も子もないからです。一方、触感は愛情表現など、親近感を感じる感覚でもあります。視覚や聴覚に障害がある人であっても、触覚さえ正常であれば有意義な人生を送れると言われています。実際、文献1によれば、幼少期に親との接触が無い、あるいは少ない子供は正常に育たないことが報告されています。動物が生きて行くために最も重要な感覚といっても良いのではないでしょうか。
現在の科学技術による人の能力向上は視覚と聴覚を中心に進んできましたが、既に人間の能力の何万倍ものレベルにまで達しました。これからも能力向上は続くのでしょうが、投資効果がだんだん小さくなっていくのは必然です。そういう意味で、そろそろ別の感覚についての技術や製品の開発に投資するタイミングが来ているのではないでしょうか?
私は2つの意味で、触覚の分野にビジネスチャンスがあるのではないかと考えています。第1は前述した人の本能的な意味です。つまり、触っているのと同様の触感を感じながら遠隔操作アームで作業ができるようになれば、危険な作業を離れた所から安全に行うことができます。このようなニーズは工業の世界には多々あるでしょう。逆に、離れて暮らす親子や夫婦が手を握りあって互いの存在を確認することも可能にします。現代はストレス社会と言われています。視覚、聴覚の能力は技術によって大きく強化されましたが、それはストレスを減らすのと同じくらいストレスを増やす方向にも働いているように思います。会えない親しい人と触れ合う感覚は、ストレス低減に貢献できると思います。
第2は、人の学習能力を高め、その結果として人口知能(AI)の学習スピードをも高めることに繋がると考えます。人の学習は、聴覚と視覚を使って読んで聞くだけよりも、触覚と運動覚を使い、書いて触って実際に作って学習する方が、圧倒的に効率が高まることが分かっています。それゆえ、かつては現場、現物に触れて学習することが叫ばれ、OJTが推奨されてきました。しかし、今日では、生産性向上の名の下、IT技術を駆使した視覚、聴覚中心の学習が増え、現場、現物に触れる機会は急激に減りつつあります。新型コロナウイルス問題はこの傾向を助長しています。実際に触って作って身体で覚えたことは忘れませんが、講義で聞いたこと、テレビで見ただけのことはすぐに忘れてしまいます。このことをもう一度、真剣に考えていく必要があるように思います。
上記の話は、ロボットとAIの学習にも影響します。なぜなら、ロボットの頭脳はAIが司るとしても、ロボットと人間が協働する場面では、必ず何らかの接触や衝突が起こるからです。接触や衝突は、むしろ人間側のミスで起こることの方が多いでしょう。安全にロボットと人間が協働するためには、人が許容する接触やその衝撃レベルをAIに学習させる必要があります。また、扱う製品がデリケートで壊れやすい場合、その触り方やハンドリング方法を工夫する必要があり、それらをAIに教え込む必要があります。具体的には、把持する場所と接触部の面圧の組み合わせパターンのような形を通してAIに学習させることになるのではないでしょうか。
触覚は驚くべき機能を含んでいますが、その機能の多くは物理的なものなのでMEMS技術によって実現出来る可能性があります。触覚センサおよびその伝達手段を実現して人の役に立つものに仕上げるには、まず、人の触覚を良く知る必要があるでしょうから、次はそれを確認していきましょう。
人の皮膚は、表皮、真皮と皮下組織の3つ分かれます。表皮は、外界に接する角質層とケラチナサイト層に分かれます。皮膚の触覚メカニズムについての知見は、21世紀になってからも大きく進展しました。
20世紀には、皮膚の触覚センサはメルケル盤、マイスナー小体、パチニ小体およびルフィニ終末の4つだと考えられていました。最初の2つは表皮と真皮の境界付近にあり、後の2つは真皮の中にあります。メルケル盤は物体の形や表面粗さを認識する機能があります。マイスナー小体は低周波の振動を察知し、掴んだモノを落とさないように握る力の調整に使われます。どちらも神経繊維に繋がっており、情報は脊椎を経由して脳に送られています。特にマイスナー小体のセンサ情報はフィードバックが早く、その多くは無意識に処理されています。
この2つの機能がいかに洗練されたものかは、次のような作業をロボットにさせようとした時に明らかとなります。ポケットにいくつかの種類のコインが入っており、その中から触感を頼りに100円玉を見分けて掴み、落とさずに自動販売機のコイン投入口に持って行き、軽い接触をさせながら狭いコイン孔に投入するという動きを考えてください。あるいは豆腐を持ち上げるという動きでも結構です。人は、前述の2つの触覚センサを使ってこれらを簡単にやってのけますが、ロボットにやらせようとしたら非常に大変です。人はほぼ無意識にこの難作業を実行できます。そう考えると、これまで人間が作り上げた技術は、自身の体内のメカニズムに遠く及ばないことを実感させられます。
パチニ小体は微少な高周波振動に敏感なセンサです。特に200~300Hzの振動に対する感度が良く、10万分の1ミリ、つまり10nmの変動も察知できると言われています。最後のルフィニ終末は皮膚の引っ張りを探知します。このように4つのセンサで触覚を機能分担していることが分かります。
最近分かってきたことは、表皮のケラチナサイト層には、温度を感知するいくつもの受容体があり、独自のセンサが仕込まれていることです。特に、温度と危険な化学物質を見分ける能力が発達しています。冒頭で述べたように、触ることは非常に危険な行為なので、動物においてこの機能が発達することは不思議ではありません。温度センサは、高温に特化したもの、低温に特化したもの、ちょうど良い温度のものなど6つのタイプがあります。化学物質としては、硫酸や塩酸などの酸と、唐辛子の辛味成分であるカプサイシンに反応します。前述の4つの触覚センサとは別のルートで脳に情報が直接伝達されます。
どのセンサ細胞も、細胞内外には60~70mVの電位差があり、触感を感じると電解質イオンが細胞内に移動し、そこで電気パルスが発生します。皮膚には片腕だけでも1万本を超える神経繊維があり、それらは脊髄経由で脳に直結しています。それゆえ、触った瞬間に危険を察知し、リアルタイムの迅速な反応ができるのです。
以上より、人間の皮膚触覚センサがいかに精巧に出来ているかが分かったと思います。これらは長い進化の結果として存在しているのですが、同一の機能をロボットや遠隔操作アームに持たせるのはとても現実的とは思えません。実現可能な所から始めてビジネスに育てることが大事です。では、既に実用化されている触覚センサと触感再現技術としてはどのようなものがあるのでしょうか? 次はそれをみていきます。
現在の触覚センサは、圧覚センサとすべり覚センサに分かれて発達してきました。圧覚センサを実現する方法には様々なものがありますが、どれも別のどこかで利用されている基本要素技術を使っています。古典的には面の変形をバネで検知する、あるいは金属製の毛を作ってその変異を計測する方法があります。皮膚の柔らかさを表現できる感圧導電性ゴムという方法もあります。これは、シリコンゴムに炭素粒子などの導電性粒子を拡散させ、形状変形と電気抵抗の関係性から接触圧を計測します。
他の方法としては、既にMEMSセンサにおいて多用されている静電容量変化方式、圧電効果方式、圧抵抗効果方式、光学方式があります。本コラムの第32話や第33話において既に扱ったものです。
すべり覚センサについては、変異検出、振動検出および応力・歪検出の3つのアプローチで既に実現されています。これらも既存のMEMS技術が扱えるものです。
触覚センサはこのように着実に進化しています。しかし、センサだけでは大きなビジネスは期待できません。欠けているピースがあります。それは、触感を人に伝える手段です。現在でも、モノの輪郭、重さ、接触圧、温度、凹凸、摩擦係数などの物理量をレーザーチャートに表示して、触っているモノを表示することは可能です。しかし、そのチャートをいくら眺めても実際の触感を想像できないし、当然、体感できません。やはり計測した触感を、人が感じられるように人工的に作り出すことが必要です。例えば、手袋型の装置をつくり、その形状と内面状態を制御することにより触感を作り出すといったイメージです。
このような触感の伝達手段は、危険な場所における遠隔操、現場・現物の学習、技能の伝承などにとっては重要です。今日の製造業の現場では安全が非常に重視されています。初めて行う作業では、怪我や火傷を被る危険があります。そのリスクは言葉でいくら学習しても身に付きません。人は実際に経験し、特に痛い思いをした時に本当に学習します。今日は、怪我が発生すると工場の安全成績が落ち、工場管理者は経営者に指摘され、改善を求められることになります。よって、作業者の学習と安全の両立は非常に難しいものとなっています。
そういう状況において、仮に人工的な触感を再現できるインターフェースである手袋の内部において、許容限界内での痛みや高温を体験させることにより、学習効果が高まります。これは人間の学習だけでなく、AIの学習にも効果があります。なぜなら、人がどういう時に不快感、痛みを感じ、どういう時に快く感じるかをAIに伝達し、学習させることができるからです。
このような技術開発には、多くの異なる専門分野の知恵を統合することが欠かせません。異なる専門分野の知恵の統合には独特の仕掛けが必要です。これをゼロから構築するのは時間がかかりすぎます。当社は、スピーディーに仕掛けを構築するノウハウを持っており、お役に立てると思います。
参考文献
1.触れることの科学、デイヴィッド・リンデン、2015