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製品進化とマネジメント風景 第121話 事故調査のマネジメント

無人化、自動化が進む時代になりつつありますが、その時、日本において気を付けなければならない事があります。それは、人身事故を起こすと刑事事件になり、刑事責任は個人が対象になるということです。 

ドライバーが運転する自動車ならばドライバーが事故責任を負いますが、レベル4や5の自動運転ではどうなるのか、世界中で議論されています。日本だけでなく、米国やドイツの法律専門家の間でも意見が分かれています。 

「従来の考え方の延長で対処する」という派は、従来通り、運用供用者責任としています。これは、ドライバーの責任ではないということです。事業用自動車ならば、企業の責任ということになるのでしょう。しかし、この考え方がもし個人に適用されると、自動運転車の所有者がドライバーならば、結局はドライバー責任になるということを意味します。 

自分が運転しているならば責任を感じますが、完全自動運転の車を使って事故になった時に責任を取らされるというのはちょっと納得しかねます。そういう法律だと、自動運転車を購入する気にならない人も多数でてくることでしょう。 

法律専門家の中には、「法律はそもそも一般人のためのものなので、一般人の納得できる内容にしないといけない」と主張する人達もいます。そういう専門家は、個人に責任を押し付けるのではなく、製造者の責任に言及しています。 

この意見への反論として、「企業のイノベーションを阻害する法律は緩和すべきだ」という意見も出されています。 

この「イノベーションを阻害するから規制を緩和すべきだ」という意見は一理あるのですが注意する必要があります。なぜなら、これを、「イノベーションのためには人身事故リスクを許容しても良いのだ」と都合よく解釈する人が出てくるからです。 

この解釈は非常に危険です。そもそも、『リスクを取る』という言葉の使い方がおかしいのです。本来、リスクを取るべき所は、『事故リスクを下げるために、先行的な開発を行う資金リスク』だからです。 

ときどき、外国人から「日本はリスクをとらない」と言われることがありますが、これは、資金リスクを取らなすぎるという意味での指摘であり、『事故を起こすリスクを取れ』と言っているのではありません。 

事故リスクは事故責任に繋がるので、次はその問題を検討します。日本は刑事事件の責任を個人に取らせますが、米国では組織に取らせるケースも多く、どうやら日米の法体系はかなり異なるようです。米国では、大きな事故が起こった時、まず、事故調査委員会による事故調査があり、その後に警察による捜査が行われます。事故調査委員会の権限も非常に強いものです。 

日本では、今の所、捜査と事故調査が同時並行で進めらます。そのため、刑事事件の当事者は黙秘してしまうことが多く、事故原因の解明がされにくいと言われています。国によって法律体系が異なるのは仕方がありませんが、グローバル化が進むと軋轢を増えるので歩み寄りが必要です。科学技術の進化を重視するならば、事故調査については米国式の考え方がベターだと考えます。 

米国式が良いと考えるのは、事故の発生原因をしっかり解明でき、それがその後の科学技術の進化とマネジメント力向上に繋がり、最終的にビジネス面でも強くなれるからです。一例として1986年に起きたスペースシャトル・チャレンジャー事故の調査報告を挙げましょう。 

これは、資本の論理(経営判断)と技術者倫理がぶつかり合った事例です。少なくとも米国では、技術倫理の教科書に使われているそうです。製造系企業、技術系企業を生業にする者は、常に遭遇する可能性のある事例であり、知っているべき話です。 

概要は以下です。まず原因は、「合成ゴムのOリングが-1~2℃以下になると柔軟性を失い、ガス漏れを防止するという機能が失われてガス爆発に至る」こととされています。これについては、Oリングメーカーの技術者達は事故が起こる1年前から、この損傷モードに気付いていましたし、事故調査委員の1人であるファインマン氏がマスコミの前でデモンストレーションまで実施しました。 

打ち上げ当日の気温は非常に低かったため、Oリングメーカの技術者は、技術担当副社長に打ち上げ延期を強く主張し、その結果、NASAとOリングメーカの間でテレビ会議が開催されましたが、NASAは判断をOリングメーカに委ねました。 

Oリングメーカの幹部だけの会議の場で、上級副社長が技術担当副社長に対して、「君は技術者の帽子を抜いで経営者の帽子を被れ」と言い、最終的に全員一致で打ち上げても良いという結果をNASAに伝え、打ち上げに進み、事故が起こってしまいました。 

これと類似の場面は、世界中で一定の頻度で起こっていると推定します。上記の件では、「事故リスクよりも経営を優先する」という判断がなされた事を意味します。 

事故を起こしても誰も傷つかないならば、経営を優先しても問題ありません。しかし、事故の発生が人命損失に繋がる、あるいは社会的に大きな損失を与える場面では、事故リスクを優先しなければなりません。この件では、気温が上がる日が来るまで打ち上げを数日延期するだけで事故を回避できた可能性が高く、待つべきでした。 

この教訓はその後、米国の宇宙ビジネスに反映されました。誰も傷つかない研究段階の事故はたくさん起こしていますが、本番の成功率は非常に高く、結果として、米国の民間ロケット打ち上げ会社のシェアは世界の半分を握るまでになりました。ここから、『開発段階では資金リスクを取り、本番では品質・安全上の問題を起こさないようにする』という意図が読み取れます。 

さて、スペースシャトル・チャレンジャーの事故調査報告はこのように分かりやすい内容でした。一方、2011年に起きた福島原発における大事故の事故調査委員会の報告はどうだったのでしょうか? 

4つの事故調査委員会がそれぞれ報告書を出しているのですが、どれも事故原因に関する記載が曖昧であり、読んでもよく分からない内容となっていました。前述のスペースシャトルのケースはもちろん、スリーマイル島原発事故の調査委員報告と比較しても、調査報告書の質が落ちると言わざるを得ません。 

その後の裁判等で判明した情報から、今では、「事故発生の根源的な原因は、電源の喪失だった」と認識されています。文献1によれば、地震により、まず、送電線からの外部電源が停止しましたが、非常用発電が起動して、設計どおりの機能を発揮していたことが分かっています。しかし、その後に来た津波により、非常用電源が水没して機能停止となりました。電源が失われたことにより、空焚きが起こり、炉心は溶解し、水素爆発を起こすことになりました。 

ここには、2つの問題がありました。第1は、非常用発電の建屋を防水仕様にしていなかったことです。別の会社が設置した別の原子力発電所では、非常用発電設備の建屋は技術者の強い要求により防水措置を施していたので、津波に曝されても問題は起こりませんでした。 

第2は津波高さの想定です。福島原発の1号機が建設されたのは1971年後であり、その当時の津波の最大想定高さは3.1mだったそうです。異常に低い設定です。ただ、その後、見直しの指示が政府から出されました。 

2002年になり、政府はマグニチュード8クラスの巨大津波が福島県沖で30年以内に起こる確率が20%程度あるとし、想定津波高さを見直すよう促したのです。 

これを受け、某電力会社は、専門子会社に津波計算を委託しました。2008年に出されたその結果では、津波高さは15.7mになると予測されていました。実際に起きた津波髙さ15mであり、この予測はかなり現実に近いものだったわけです。 

この結果を受け、電力会社の部長は、「津波高さが15mだと、非常用発電装置が水没し、非常用電源が損失するリスクがあることと認識し、自分の判断を超えると考えて、上司の役員に相談しました。その上司は子会社の計算結果に納得せず、関連学会にセカンドオピニオンを求めました。 

セカンドオピニオンを求めるのはおかしな事ではありません。しかし、その後に分かった事を整理すると、おかしな事が行われていたと言わざるを得ません。電力会社は、「学会で検討した結果、福島県沖では津波が起きないから対策不要だ」とし、機関決定しました。ところが、その後の裁判の場において、この学会は「福島県沖で地震発生が起きるかどうかを検討したことはなかった」ことが分かったのです。矛盾した話です。都合の悪い技術的根拠を無視した所は、スペースシャトルの事故と酷似しています。 

これらの事例から言えることは、「人は嘘をつくが、モノや技術は嘘をつかず、騙すことはできない」ということです。この事は、しっかりと認識しておくべき事でしょう。 

人が未知の世界に進もうとする時、最善を尽くしても事故が起こることがあります。そういう時、その事故原因を真摯に追及して解明すれば前に進むことができます。逆に曖昧にしたままだと前に進めなくなってしまい停滞することになります。 

技術でビジネスをしていくならば、特に先端技術をビジネスに適用していくならば、事故が発生した時、独立した機関によりしっかりと原因解明をできる仕組みを取り入れていく必要があるのではないでしょうか? 

もっと良いのは、事故が起きる前にそのリスクを特定し、取り除いてしまうことです。その意味で、アイリスマネジメント法は役に立ちます。開発の成功率を飛躍的に高める方法ですが、結果として事故リスクをもれなく取り除くのにも有効なのです。