製品進化とマネジメント風景 第49話 自動車における経路依存的な今後の進化とマネジメント
生物に限らず、人間の発明したプロダクトも進化を続けています。現在、自動車については未来に向けて様々な選択肢が検討されています。それを1つに絞り込む会社もあれば、絞り込まずに複数の選択肢を並行して検討している会社もあります。後者を実行できるのは経営資源の豊富な大企業だけです。小企業は未来を予測し、ある所にリソースを集中して賭けをせざるを得ません。その間にいるのが中企業です。1つではなくいくつかの賭けをするだけのリソースはあります。しかし、大企業の真似をすると、何もかもが中途半端になってしまい、最悪、小企業に抜かれる可能性があります。賭けをする数を複数持てる余力はあるのでしょうが、それをどれにするか、その選定に日々悩んでおられるのではないかと思います。
世の中の脱炭素指向が急速に浸透してきたため、世界的に化石燃料を使う内燃機関(ガソリンエンジン、ディーゼルエンジン)から電気自動車EVや燃料電池車FCVへのシフトが連日の話題となっています。マスコミは変化が商売の源であるため、ある意味、変化を煽ります。いずれEV時代が来ると思いますが、何事も急に変わることは出来ません。マスコミのメッセージは鵜呑みにするものではありません。
例えば、世界の電化率は20%代にあることを考えれば、皆がEVに乗れるようになるには電化率の急速な向上が必要です。今のペースだと、少なくとも数十年レベルの時間がかかるでしょう。それ以外の燃料としては、環境に良い順に、水素、天然ガス、石油、石炭が来ます。エクソンモービルの株主総会での株主提案の採択やオランダ裁判所によるロイヤル・ダッチ・シェルへのCO2排出低減命令などを見ると、最後の2つ、石油と石炭はゆっくりと減って行かざるを得ないでしょう。
では、環境に優しいと言われる水素燃料はどうでしょうか? 実は水素燃料には2つの顔があります。化石燃料経由のブルーの顔と自然エネルギー経由のグリーンの顔です。グリーンを求めるならば、前述したように数十年の時間がかかります。一方、もし、CCS (Carbon Capture & Storage)のリスクが本当に小さく、地中に大量のCO2を貯留できるならば、化石燃料の代わりにブルーな水素燃料が主燃料に躍り出る可能性があります。ただし、CCSについては以下のように原子力発電と同じ議論が付きまといます。
それは、一定の複雑さを持つ初号機的なシステムには必ず見落としがあり、事故は必ず起こるという法則です。人間の歴史がこれを証明してきました。「絶対安全」などという言葉は世の中には存在しません。よって、前に進んで行くためには、仮に事故が発生しても、その影響が社会的に許容されるレベルまで小さく限定して経験を積み、その後にスケールアップしていくという手順を取る必要があるのです。影響が小さければ、経営的にはともかく社会的にたくさん失敗することが許容されます。失敗を糧にすれば、かなりの速度で安全なものに進化していくことができます。良い例は飛行機です。ジェット機は発明後しばらくの期間、墜落のリスクが高い乗り物でした。しかし、失敗を真摯に反省してフィードバックを繰り返した結果、自動車よりも安全な乗り物と評価されています。
原子力発電はこれまで多くの失敗経験を積んだので、それゆえに、かなり安全性が高まってきたと言えます。しかしながら、大規模な原子力発電は、事故が発生した時の影響があまりにも大きいため、社会的に許容されるには規模を小さくする必要があります。経済性は一旦悪化しますが、その悪条件を克服できない限り、社会が許容しません。現在、小規模原子力発電を模索する努力が行われていますが、妥当だと思います。
CCSも原子力と同じ文脈で議論する必要があります。ポイントは、現在想定している大規模CCSシステムが故障した時、どれくらいの被害が出るかです。1つは地上に住んでいる生物への影響、もう1つは大気のCO2濃度への影響です。世の中は、大規模なCCSでも安全だということで進みつつあります。私自身はこれを疑いの目を持って見ていますが、以下は、仮にCCSが安全で事故を起こしても小規模に抑制でき、水素燃料が大量供給できるようになったものとして議論を進めます。
水素燃料の話に進む前に、その競合である天然ガスを先に検討する必要があります。それには2つの理由があります。第1は、再生可能電力と水素燃料の供給だけで人類が必要とするエネルギーを賄えるようになるまでの期間、繋ぎとしてのエネルギー源として、天然ガスが必ず重要な役割を果たすことになるからです。単位エネルギー量に対するCO2発生量がガソリンに対して20%、軽油に対して25%少なく、しかも安価で豊富に存在します。第2は、天然ガスは水素と同じく気体燃料であり、冷やせば液化できるなど、類似点が多く、水素社会は天然ガス社会の延長線上にあるはずだからです。
天然ガス車には200気圧に加圧した圧縮天然ガスを燃料とするCNG車と、液化天然ガスを燃料とするLNG車がありますが、現時点では後者は非常に少数です。その理由は後ほど議論します。まず、CNG車の普及率とその実力についてみていきます。
国土交通省の情報では、日本における2018年度の自動車保有数は約8000万台であり、そのうち、次世代車に分類されるものが全体の約10%, 8.5百万台です。CNG車は次世代車の1つであり日本ガス協会情報では5万台弱であり、全体の0.06%です。ちなみに次世代車の筆頭はハイブリッド車であり8.2百万台であり、燃料電池車FCVは3千台に達していません。
日本ではCNG車は殆ど普及していませんが、その理由として以下があげられます。車両価格が高い、走行距離が短い、燃料スタンド数が少ない、および、CO2低減量が意外と小さいことです。この順番は使い方で変わります。車両価格の高さおよび燃料スタンド数が少なさはマイナーな存在であるためであり、全ての製品が抱える問題であり、CNG車固有の問題ではありません。
燃料タンク容量が同じならば2割程度の走行距離しか走れません。これはかなりのデメリットです。しかし、このデメリットは水素を燃料に使う自動車にもそのまま当てはまります。なぜなら、200気圧に圧縮したCNGのエネルギー量は、700気圧に圧縮した水素ガスとほぼ同じだからです。この問題は、燃料タンクを大きくすれば緩和可能です。3倍から4倍にタンク容量を大型化すれば、それほど不便は感じないと思います。小型車への適用は困難ですが、トラック、バスでは比較的容易です。実際、CNGトラックでは燃料タンク容量は3倍程度に設定されています。
燃料をCNGではなく液化天然ガスであるLNGにすると、走行距離は約3倍にできるので、距離に関しては1つのソリューションになります。しかし、LNGは温度を-162℃以下にする必要があり、燃料タンクシステムが複雑で高価となるため自動車には適さないと考えます。
CO2低減については、CNG車はガソリン車、ディーゼル車ほど技術が成熟していないこともあり、ポテンシャルである20%減を下回る効果しか出せておらず、ハイブリッド車(HEV)に劣ります。よって、今の日本であればCNGよりもHEVを選ぶのが自然です。なお、試作レベルではCNGもハイブリッド化すれば、ガソリンハイブリッドよりも約2割、CO2低減できることまでは分かってきています。
日本でCNG車の普及率が小さいことは理にかなっていますが、理は国によって変わります。中国、イラン、パキスタン、アルゼンチン、インド、ブラジルでは100万台以上が保有され、国によっては保有台数の10%以上を占めています。中国についても8年間で5倍に増えました。年率20%以上の成長をしているということです。保有率が高い理由の筆頭は、燃料費が安くガソリンの半分以下のコストで運用できる点が挙げられています。電化率の低い国では、EVやFCVよりもCNGの方が燃料調達性、運用コスト、環境性を総合的に満たすソリューションになりえるということです。先進国の視点だけで物事をみると、思わぬ落とし穴に落ちるリスクがあると思います。
天然ガスの現状を知った上でここから水素の話です。仮にブルー水素を安全に安く大量に入手できた場合でも、自動車には2つの選択肢があります。燃料電池車FCVか、水素エンジン車(H2-ICE)かの2つです。どちらが主流になるのか、あるいは並立するのか、両者の長所、短所について俯瞰していきます。
最初に差が無い点ですが、それは走行距離です。水素は700気圧に圧縮したガスを燃料として使いますが、それはFCVもH2-ICEも同じです。なお、液体水素を燃料にすれば走行距離は伸びますが-253℃以下に保つ必要があり、天然ガスでの話と同様、その複雑さ増に伴うコスト増を打ち消すメリットがあるとはとても思えません。よって、自動車用に水素燃料を使うならば圧縮ガスだと考えます。
FCVのメリットは、車輪を駆動するモータなどの主要モジュールをEVと共有出来る点でありコストダウンに効きます。一方、デメリットは、出力増に対応するにはセルの積層数を増やすことが必要であり、出力とコストが直線的に比例してしまうことです。
一方のH2-ICEは、ガソリン車の主流である予混合燃焼方式はバックファイアーの制御が難しいですが、直噴方式やディーゼル燃焼方式では安定に燃焼させることができ、技術的にも成熟しています。従来のガソリン車、エンジン車の生産設備、人的リソースをほぼそのまま使えるので、もし、これらのインフラが残り続けるのであれば、コスト面で大きなメリットとなります。しかし、これは微妙な問題です。EVもFCVもエンジンは不要であり、よって、技術もエンジニアも不要となってしまうからです。エンジン技術とエンジニアを維持するのか否かは非常に大きな課題です。
H2-ICEにはもう1つのメリットがあります。内燃機関は、出力が増えるにつれて急激に単位出力当りのコストが急速に低下するという特性を持っていることです。つまり大型車になるほど生産コストは安くなります。これはFCVに対する大きな優位性です。
次はH2-ICEのデメリットをみましょう。これは燃焼排出物が出ることです。前述の直噴方式では排出は小さいですが、ディーゼル燃焼ではかなりの量の窒素酸化物が排出されます。しかし、この問題は既存技術で解決可能であり、脱硝装置を付加すれば解決できるので、それほど大きなデメリットにはなりません。
以上を総合すると、FCVは比較的出力の小さな領域が得意であり、H2-ICEは大型車の領域が得意であることが分かります。大型車であれば燃料タンクの大型化も容易であり、脱硝装置を付けてもFCVに対してコストメリットがあるでしょう。一方、FCVは小型車ではH2-ICEよりも総合的な環境性が優れているので優位なポジションにありますが、EVという強力な競合がいます。FCVのEVに対する主たる優位性は走行距離だけでしょう。EVのエネルギー体積密度は520Wh/l です。これは200Wh/kgの蓄電池技術の場合に相当します。これに対して、700気圧に圧縮した水素燃料のエネルギー体積密度はその3.5倍の1800Wh/l のレベルであり、その分、走行距離が増えます。
FCVとH2-ICEの勝負は明らかに経路依存的であり、今後の動きに大きく左右されるでしょう。重要なパラメータは2つあると認識しています。1つは、内燃機関エンジンに関する人を含めたインフラが維持されるのか否かです。EVシフトに集中し、エンジン技術を捨てる判断をした会社も出てきました。
もう1つは、太陽光発電、風力発電等の再生可能電力の発電量の成長率です。今後数年をモニターすれば、とりあえず2030年における世界全体の電化率をかなりの確度で見極められると思います。電化率向上にやはり数十年かかるならば、その間、電化率の低い国ではHEV、CNG車、H2-ICE(水素エンジン)あるいはFCVのどれかを使わざるを得ません。その総数は増えることはあっても減ることはないでしょう。彼らがどれを選ぶかは、脱炭素とコスト(初期コスト及びライフサイクルコスト)を秤に掛けて決めるでしょうが、1つ確かなことは、どんなに環境性が優れていても高すぎるものは選ばないだろうということです。
なお、CCSについては、事故に繋がる有力な故障モードは、経年劣化と地震の発生の組み合わせと考えられ、短期的な実証はできません。そうなると、脱炭素の圧力に押され、原子力発電の辿った道と同様、事故の影響は小さいものとされ、製造コストによってブルー水素燃料へのシフト速度が決まるように思います。
百年に一度の変革期といわれる今日、自動車関連の企業は、どちらに進むか悩んでおられると思います。特に中企業の悩みは深いのではないでしょうか。ある会社は内燃機関のエンジン技術を捨て、EVとFCVに集中すると発表をしました。賭けに出たわけです。英断か愚断かはいずれ分かるでしょう。私個人は、再生可能電力の成長率の見極めるためにもう少しだけ待ってから決断しても良かったのではないかと思いますが、それでは遅すぎると考えたのでしょう。本コラムの議論が、悩みの深い中企業の戦略策定に少しでも役に立てれば幸いです。